推しはたくさん、自担は1人①

はじめまして、こんにちは。

ジャニオタ16年目のスイです。

 

文字で見ると16年ってすごい数字。

16年もジャニオタやってるのか...って。

 

 

ただ最初の数年はオタクって呼べるほどの活動でもなく

ゆるゆる茶の間族でした。

 

 

自分のオタク人生を振り返るきっかけとして

このブログを始めました。

もし読んでいただけるのであれば幸いです。

 

 

 

 

私のジャニオタ人生スタートのきっかけは

Ya-Ya-yahでした。

Ya-Ya-yahが好きだったわけではないんですけど

当時、忍たま乱太郎のアニメの主題歌

「世界が1つになるまで」を歌っていたのが

Ya-Ya-yahだったわけなんですが。

それを聞くために少年倶楽部を見ていたら

何かと騒がしいチャラチャラしたお兄さんたちが

たくさん出てきていまして、

それが関ジャニ∞KAT-TUNでした。

 

 

関西人の私は、同じく関西人の関ジャニ∞

勝手に親近感が湧いて

気づいたらみるみる好きになっていました。

 

亮ちゃん格好いい!

大倉くんかっこいい!

すばるくん綺麗!

内くん可愛い!

 

くらいの小学生です。

 

 

 

その頃はデビューとかもよくわかっていなくて

少年倶楽部のステージで

歌って踊ってしゃべる彼らが大好きでした。

 

気づいた頃には関ジャニ∞は全国デビューを果たして

CDがあると知った私は、近くのTSUTAYAに行って

当時好きだったORANGE RANGEのCDと一緒に

浪花いろは節のCDを買いました。

 

 

その後も小学生だった私はコンサートには行けず

ちちんぷいぷい」や「なるとも(めっちゃ懐かしい)」などの

関西ローカル番組に出演する

関ジャニ∞を楽しみに見ているだけでした。

 

中学生になると

お小遣いやお年玉でライブDVDを集めては

実家のリビングで大音量で見ていました。

だけど、親の許しが出ず

ライブに行くことはできませんでした。

2007年の47ツアーがWSで取り上げられているのを見るたび

うらやましくてたまりませんでした。

 

そんな中、学校では

どちらかというとKAT-TUNの方が人気で

関ジャニ∞の話をしてくれる人は

全くおらず

中学時代はひとりでこっそり

関ジャニ∞コンテンツを楽しんでいました。

 

 

なんやかんやで高校生

相変わらずDVDを見たりテレビで関ジャニ∞を追う

いわゆる"茶の間オタク"をゆるゆると続けていました。

 

 

高校1年生で私は隣の席の手越担と仲良くなりました。

世はまさにYou&J時代。

友達のNEWS名義と私の関ジャニ∞名義で

初めて8UPPERSに申し込みました!

 

喚起乱舞

 

まだ当たったわけでもないのに

関ジャニ∞に初めて会えるんだ!と

 

 

 

そして当たったのがまさかの

12/31 カウントダウン公演

 

 

 

必死に母親を説得し

はじめての関ジャニ∞は京セラドーム

カウントダウン公演

 

 

 

なんて空間なんだと

たくさんの人が声を出して

ペンライトを振って

 

 

今までDVDで見てきた景色なのに

会場にいるとまるで温度が違いました。

 

 

高揚する気持ちで我を忘れて

帰りの車の中ではほとんど何も覚えてなかったです。

だけど胸には大倉のうちわを抱えて

グッズのトートバッグとストラップを身につけて

私は関ジャニ∞のライブに行ったんだと

ただただその幸せに浸っていました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

スイ